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定期講演会等 > 定期講演会 > 第113回:土地税制の歴史的変遷と今日的課題
定期講演会講演録
第113回講演会
日時:平成17年11月10日
場所:発明会館
土地税制の歴史的変遷と今日的課題
三井不動産株式会社 顧問
法学博士 佐藤 和男
 ご紹介いただきました佐藤でございます。
 本年3月に筑波大学の大学院で博士論文として出しました土地税制の歴史的変遷と今日的課題というものを多少編さんしまして、先月、「土地と課税-歴史的変遷からみた今日的課題」という本を出しました。今日は、そのご紹介を兼ねて、土地税制の歴史を主に、そこで私が考えたことを皆さんにご紹介申し上げて、これからの土地税制のあり方について是非ご一緒に考えていただければと思います。
それでは、1時間半ぐらい私から話させていただいて、20~30分質問の時間を設けるというご予定のようですので、話を進めたいと思います。
 本日お話し申し上げる順序は、目次を見ていただきますと、大きくいって戦前期の土地税制というのが最初に来ております。それから2番目に戦後土地税制の流れとして、シャウプ勧告から始まりまして、最近の土地税制の流れを書いています。それから3番目に諸外国の土地税制としましてイギリス、アメリカ、フランス、ドイツという各国の土地課税の歴史と現状を、簡単にメモ書きしたものがついています。最後にこれらから見て、今後土地税制についてどう考えていくべきかという話で締めたいということです。



■明治の土地税制

 それで、早速 1ページから話を始めさせていただきたいと思いますが、正直申して、戦前期の土地税制、特に明治、大正期につきましては、私自身あまり昔から勉強したことはありません。内輪話を申しますと、今回、いわば論文作成の課程で、主として大蔵省が昭和10年代に作成しました「明治・大正財政史」の中の2巻ほどが税制に当たっていまして、その辺を読みながら土地に関する部分を引っ張り出しましたもので、ご専門の方なり、よくご承知の方から見ると新しいことは何もないではないかというご批判を受ける可能性がありますが、とりあえず明治の土地税制というところから始めさせていただきます。
 これはもう皆様方ご存じのように、明治政府がその財政基盤を確立するために地租に全面的に頼ったというのが始まりです。地租制度の確立は、国の法律の上では明治5年に土地の永代売買禁止の解除という布告をしました。これはどちらかといえば土地の私有権の確認という私法的な効果を狙った制度です。ただ、その裏返しに「土地売買譲渡ニ付地券渡方規則」というのを、ほぼ同時に大蔵省達で出しまして、ここで、地券の所有者への交付と裏返しに、それを持っている人に対して地価の100分の1、つまり1%の課税をするということを始めます。ここについては土地の法制史等で非常に詳しく議論されますが、端的にいえば明治政府としては、土地の私有権を認める代わりに、それに見合う税金を払ってくださいという、どちらかといえば租税収入確保が非常に大きな目的となる制度を確立したわけです。翌年、明治6年に地租改正条例を出します。これは明治5年のものが宣言的であったのに対して、やや法律上の形をとっており、ここで地権の交付を各条にわたって制度化します。ただ、その際の税率は地価の3%ということで、明治6年の時点ではスタートしますが、税率は、最初申したように100分の1だったり、いろいろな点で少しバラバラの部分がありますが、明治6年の地租改正条例の税率は3%です。ただ、非常におもしろいのは、その際、法文上「地租ハ則地地価百分ノ一ニモ可相定ノ処」とあることです。本来税率は1%がいいけれど、今、政府は非常に財政上困っているため、物品税等が将来上がってくれば必ず地租は1%にするからということを法文の中に書き込んでいます。これをしながら、一方で地租改正事業、まさに1筆ごとの筆を確定し、地価を確定するという作業を全国的に始めます。ただ、皆様方よくご存じだと思いますが、課税対象が農地ですので、農民運動等を惹起して大変な騒動になります。それで明治10年に3%と一旦決めたものを2.5%まで引き下げます。これが明治政府のいわばその騒動に対する対応の一番のキーポイントでした。こういうことを行いつつ地租改正事業を進め、明治15、16年頃にほぼこれが完成します。それから明治17年に地租条例というのを発布します。これが先ほどの地租改正条例をもう一度完全に制度化したものですが、ここでの違いは、それまでは大体5年毎に地価を見直し、上がった地点、下がった地点を確認しますということできていたものが、この時点で地価調査を凍結します。税率は地権に掲げてある価格、要するに時価の2.5%で固定するというのが地租条例の主たる中身で、これが昭和6年の地租法になるまで、基本的な地租の根拠法として続くわけです。ただ、明治時代のこの部分を扱った本等によりますと、この地租改正条例は、その前の地租改正条例で1%にしますと約束したことを完全に無視したといいましょうか、キャンセルして、いわゆるこういう条項関連を法文上は削除したということで、地租改正の作業がほぼ落着したので、言葉は悪いのですが、開き直った形でこの地租条例を公布したという言い方をしている本があります。
ここで、当時国はどのような財政状況であったか、国税収入と地租の推移ということで表にしています。実際はよくわかりませんが、明治政府も徳川時代の地租の総額をそのまま移行しようという基本的な態度であったということを繰り返し表明しています。多分そういうことなのだと思います。明治8年には、地租は国税収入の85%を占めました。これが明治33年、1900年頃になると、ぐっとシェアは下がり、もう一方、後ほどご説明しますが、所得税等がぼちぼち財源として浮かび上がってきます。それから酒税が非常にこの時点は多ございます。ということで、明治33年に35%。明治時代は大体このレベルですので、いわゆる日清、日露の戦役というのは主たる税収をもっぱら地租に頼って戦争を行ったということだろうと思います。
 これが大正期を経まして昭和6年、後ほどご説明します、地租法という法律によって課税標準を賃貸価格にするわけですが、ここになるともう1桁台になりまして、所得税が相当に大きなシェアを占めてくるというのが、この間の国家財政のあり方です。

 一方、地租と離れまして土地に関連します各種の税法はどういうことであったかというのが(2)で、所得税法は明治20年に出ました。それから、明治22年は大日本帝国憲法が公布、発布されました。ここではいわゆる租税法律主義、今の言葉でいいますが、第62条1項に定められています。その意味では近代の税制のベースがここで出来ています。それから、土地に関連しましては、登録税法が明治29年ですが、これに先立って明治19年に登記法が制定されて、ここで登記料をとることが定まっています。両説ありますが、民法ができたのが明治32年ですので、そういう実体法、私法実体法に先立って、こういう登記法なり登録税法や何かが先行したのは、どちらかといえば税収に主眼があって、明治政府がそれを先行したというのが、土地法制史で明治を扱った部分で繰り返し書かれているところです。
なお、印紙税法も32年に制定されますが、これはやはり明治6年、最初に申しました土地の私有権化と同じころに実態上スタートし、法律になったのが明治32年ということです。あと、明治38年に日露戦争のどちらかと言えば戦時税制として相続税法がスタートしています。この辺で、国税に関しては役者がそろったことになります。



■地租の宅地課税への対応

 次のページに入りますが、私は「地租の宅地課税の対応」という表題をつけました。明治40年代になりますと、東京を始めとして今現在の大都市で相当市街化が進んでまいります。そうしますと地租の対象が、明治の初めの頃はまさに徳川時代と同じで農地でしたが、課税対象がずっと宅地にシフトしてきます。次のページでお示ししますが、明治政府は評価額を固定したものですから、税率のアップで対応してきました。最終的には明治38年ごろの地租の宅地に対する税率は20%という、スタート時の2.5%からすると10倍ぐらいの税率に跳ね上がっています。
 この宅地地価修正法という法律は、最初に申しました地租条例で価格を固定したものですから、宅地の地価を修正することを主体とするものです。このときに宅地の修正地価は今でいう収益還元を法律に書いています。「賃貸価格ノ10倍トシ」という法文がございます。それから、その価格が市街地宅地では、現在価格の18倍を超えるときには18倍で頭打ちをしますというような上限規定を法文に書きます。
 それから、もう一つ非常におもしろいのは、宅地地価の修正が増税結果を生ずることを避けるために、修正地価による地価総額がそれまでの地租総額を超えるときには、その額で打ち止めにするということを法文上明記します。これを、この法律の3条2項に書いております。一応参考までに法文をつけておきます。
 それから、宅地の賃貸価格は委員会を作って調査して政府が決定しますが、考え方はこの時からずっと貸主が公価等を負担することを前提とするもので、いわゆるグロス・レンタルバリューと申しましょうか、租というのはあるいは粗いという字であったかもしれませんが、租賃料としています。日本の場合は、ずっとその後も賃貸価格はこういう考え方をとってきています。修正地価は明治44年から適用されています。
 例えば③で書いたようなことには非常に興味があるのですが、これは注に書いてあるとおり、明治大正財政史によりますと、貴族院修正でこういうことを書いてあります。ここにかぎ括弧で書いていますが、「元来宅地地価修正の目的は、国庫の増収を計らんとするに非ずして、負担の公平を期せんとするに外ならざるを以て、政府は地価修正の実行の結果は必ず現在地租総額を超ゆるが如きことなかるべきことを議会に宣言したれども、貴族院は之を法律に明定する必要ありとして、右の規定を設けしなり。」というくだりが財政史に載っています。ここはある意味では、当時の貴族院は大地主階級の集まりでもあったのでありましょうから、イギリスのマグナカルタがそうだと言われるように、そういう事象がこの時点では貴族院を中心にいろいろ起こっているのではと思われる節があります。この調査の結果は市部市街地宅地で8.56倍になりました。結果的にそれに見合う税率を2.5%とします。直前の明治38年の地租の税率は20%でございましたから、評価が約8倍になり、税率を8分の1にしたというような、極めて合理的な処理をここでしたということです。

 次の3ページを見ていただきますと、財務省の方が作成されました地租税率の推移が上の方に載っています。そこで今申し上げたことが下から3、4行目のところにありますが、明治38年1月以降の地租が20%、それで明治43年が2.5%ということになるということです。逆に田畑等は非常にゆっくりとなだらかに動いています。ここで大体、地租条例、いわゆる地租の宅地への対応が終わりまして、それ以降は、やや中身に入った議論が地租については行われています。この後、大正、昭和戦前期と書きましたが、大正15年になりますと、家屋税とか不動産取得税とか戸数割、いわゆる今の住民税あたりが出てまいりまして、ここで現在の地方税の骨格が出来ます。



■大正、昭和戦前期の土地税制

 地租に関しては様々な議論があった末、昭和6年に地租法の制定になるわけです。この地租法はそれまでの地租の課税標準をそれまでは資本価格であったものを賃貸価格にします。この法定地価から賃貸価格への変化が行われます。ここは様々な議論がどの本でも出ています。ここはある意味では課税標準のあり方として最大の議論が日本の中で行われた時点だと思います。それから賃貸価格は10年ごとに一般に改定します。それから税率は各地目とも、これは農地を全部含めて3.8%でございます。ただ、税負担としては地方の附加税が入りまして、結局この附加税の部分が100分の148でございまして、あわせますと税負担は賃貸価格に対して9.424という数字に相成ります。ここが賃貸価格を課税標準とする税金としてはピークで、昭和の時代は不況がずっと続いたこともあり、税率は3.8を上限としてじりじり下がっています。ただ、本によりますと、この地租法の制定は、結果的に田畑の税負担を減らし、宅地の負担の増による適正化が地目間では図られているということです。それから地域間では東京等の負担の増があって地方が減ったということです。

 ここに書きませんでしたけれども、それまではどうも山口と鹿児島において非常に地租が安かったそうです。やはり長州と薩摩でしょうか。それが直ったということを書いてあります。理屈の上では、まさにここで土地保有税として本来あるべき収益税として体系が完成されたと言えると思います。
 なお、この切り替わりによる税収のトータルが、前の税収が資料によりますと6,800万で、新しい課税標準による税収が5,800万。マイナス1,000万というのが係数で出てまいります。ここで一応戦前期の土地税制としては確立したということでございます。
なお、戦時税制としてはこの他にいろいろなことがありますが、建築税というのが国税で出来てみたり、家屋税が国税で出来たりしていますが、現在まで尾を引くと申しますか、つながりがありますのは、昭和17年に不動産の譲渡所得への課税制度が創設されてございます。日本の所得税は明治につくられてから、不動産の譲渡所得のような一時的な所得に対しては課税しないということでずっと参ったものが、当時の国会議事録等によると戦時税制ということで作り始めたということでございます。これが戦後もずっと引き継がれて現在に至っている譲渡所得の始まりです。



■シャウプ勧告による税制改正

 ここから、一応戦後に入ります。戦後税制は細かいことは外しまして、骨格はなんといっても昭和24年のシャウプ勧告で、かつシャウプ勧告で現在まで骨格的に残っているのは固定資産税制度です。土地に関しては、まさに固定資産税制度と、それからもう一つ、キャピタル・ゲインの関係の勧告と譲渡所得との関係があります。シャウプ勧告による固定資産税制度とはどういうものであったかを見てみますと、直前に国税に建築税とか家屋税とかあったわけです。地租はずっと国税できたわけですから、地租、家屋税を市町村税として、その税収見積もりを昭和24年度の3倍としたもので、要するに3倍の増税をやれといったわけです。当時の税収を140億円から500億円に引き上げるというものでした。中身としては皆さんご存じのように、現行の税制の骨格で、課税標準を地租法の賃貸価格から資本価格(キャピタル・バリュー)に改めます。この場合のやり方は台帳賃貸価格を200倍すると、その時点の賃貸価格になり、それで現在価を求めて、これを5倍して資本価格とするといいますから、理論的にいうと資本還元率を20%で資本化したということです。ただ、いずれにしても説明としては、基本的にやはり収益を前提とした収益還元価格をやっていると言い切れると思います。ここは少し現在の税法学者の間で議論のあるところです。

 それから、納税義務者を不動産の所有者とすると共に、課税客体にいわゆる償却資産を含めています。ここも現在少し議論があるところだと思います。
 税率をすべての市町村を通じて、当初1.75%としました。ここについては占領軍と日本国政府の間で当時凄まじい議論があり、実施段階では1.6%まで落として、占領軍の了承をとったということです。結果的に多少評価額が上がったのでしょうか、これで税収500億円は見込めるということのようです。
それからもう一つ、現在まで大きく問題を残していますのは、不動産取得税を廃止したことです。シャウプによりますと、不動産取得税というのは不動産の利用を妨げる、また適正な建築行為を妨害するものだということで、不動産については、全部保有税として整理しなさいということでした。不動産取得税は、府県税的な要素が非常に強いので、少し税収面での混乱を起こしました。
 この地方税改革は、特に固定資産税の増徴が非常に大きく議題となり、1回は珍しく否決廃案になっています。占領下で否決廃案になったのは、これぐらいのものだと思います。もう一度出し直しまして、ここに書いてありますように、昭和25年8月1日から施行されています。骨格を残したという意味で市町村の基幹税としての地位を保っており、ある先生によりますと「シャウプ税制のうちの優等生」と称する向きがあります。
 なお、シャウプ税制のその他の土地税制改革は幾つかあります。例えば富裕税、それからキャピタル・ゲイン課税、資産再評価税等がありますが、次の5ページの冒頭に書いているように、これらについては一応昭和25年の税制改正として実現しましたが、昭和28年、占領が終わると同時に富裕税は廃止され、譲渡所得課税は2分の1課税に復帰します。固定資産税を除いてはシャウプの勧告した税制は、ほとんど姿を消したということになります。ここからはまさに自前の税制です。



■高度経済成長下の土地税制

 2.高度経済成長下の土地税制ですが、土地税制として非常に問題になっていますのが、やはり固定資産税の問題でして、その過程でシャウプ勧告によって廃止された不動産取得税が昭和29年、それから都市計画税が昭和31年に復活します。と同時に本体である固定資産税について課税標準なり制限税率の若干の引き下げが行われます。結果的に冒頭申したように固定資産税は1.6%で税率がスタートしていますが、現在1.4です。その変更がこの過程で行われますが、それでもなかなか評価の上昇との関係で非常に混乱が続き、評価の不均衡が問題とされたため、やはりきちっと見直すべきだということで、固定資産評価制度調査会を設けて答申を求めることとされました。これがこのページをずっと追って書いてあります。というのは、どうも私の感じでは、後ほどもう一度申し上げた方がいいと思いますが、この固定資産税評価制度調査会の答申が、結果的にこれを実施に移す昭和39年の評価替え等において無視されました。要するに、結果的にこれが守られなかったということが現在の固定資産制度の混乱の発端であろうかと理解します。この調査会の答申に何が書いてあったかといいますと、まず現状認識として実際の評価額と時価の違いがあります。特に宅地にあっては評価額が取引価格の20%程度で、家屋は再建築時の8割、焼却資産は簿価そのものであるということで、資産間の不平等がある。それからどうも戦後の成長過程の中で、市町村間の評価の不均衡が生じている。したがって評価制度を見直して新評価基準をつくるべしということになったわけです。

 答申が求めたのは③にありますように、昭和39年度において新固定資産税評価基準による評価額課税を行うべしということでした。ただ、税負担の調整については、税率の引き下げを行って、固定資産税の総額が現行制度によるものと同額を維持することが適当とされたわけです。要するに2倍になったのなら税率を単純には2分の1に引き下げて、新評価でおやりなさいということでした。この昭和39年の評価替えの結果は、宅地の上昇率が6.5倍、土地全体で4.4倍ですが、家屋や償却資産は微変動です。その結果、固定資産の資産構成が大きく変わります。土地がかつて22.7%だったものが倍増して54.7%となり、家屋や償却資産のシェアが減るということに評価替えの結果なり、また、どういうことが行われたかといいますと、答申の③で求めたような新評価額による評価の実施は、税率の見直しを含みますが、そういうことが実行できませんで、結果として農地については税額の据置き、その他の土地については税負担を1.2倍にするということで落着しました。これは評価替え毎に新しい制度をつくるのだということを2回か3回は繰り返しますが、結局、昭和39年度の税制改正で行った農地の据置きと他の土地についてのいわば負担調整措置を繰り返したのが、それ以降の固定資産税の歴史となったわけです。
 その意味では、新しい評価額、新しい税率という基本方針は実現できませんでした。
 なお、次の 6ページで国税の対応とあります。これは地価の上昇が持続したこともありまして、国税も特に所得税課税でいろいろな工夫が要るようになりました。一つは公共用地の取得のための特別控除の制度化で、もう一つは事業資産の買換制度です。これは現在の事業資産の買換制度にほぼ似たようなことが、この昭和38年度の改正で行われています。それから譲渡所得については、すべての譲渡所得について2分の1課税でしたが、短期・長期という区分を設けます。所有期間3年超について2分の1課税とするものでした。それ以内は普通の所得税課税という制度をここで確立しました。いわば長短区分の制度化です。



■土地税制の確立

 この頃から小生自身も多少このことに携わってきましたが、地価問題とか住宅問題が非常に内政上の大きな課題となってまいります。そのために昭和43年7月に、それまで2年ぐらいの議論を重ねて、「土地税制のあり方についての答申」というのを出して、土地税制を税制の中で真正面から扱うことを始めました。言葉としての土地税制が現在のような格好で使われ出した初めでもあります。この税制調査会での考え方は、土地政策における土地税制の役割は補完的、誘導的である。土地の供給なり有効利用の促進にどういうことが役立ち得るのだろうか。それから仮需要の抑制にどういうことがやれるのだろうか。それから開発利益の吸収にどういうことがやれるのだろうかと、その三つのことについて検討を行ったというのが主題です。結果的に、あるいは皆さんご存じだと思いますが、この答申の最大の特徴は①にある、個人の長期保有土地の譲渡所得についての分離比例軽減税率の採用です。2年毎に少しずつ比例税率の税率を上げていくことによって供給促進を図ったということです。あとは、長短の区分を5年に広げます。かつ短期の譲渡について、普通の所得税の税率ではなくて、重課の超過累進税率の採用を行いました。
 それから事業資産の買換えについて、先ほど昭和38年に全面的に認められたと言いましたが、これを切り替え、抑制的に整理しました。
 この昭和43年の答申による税制がスタートしてしばらくして、昭和47、48年、列島改造の土地ブームが起きます。このために、法人の土地取得なり、土地譲渡利得に対して非常に世の中の批判が強くなり、それに見合う形で第二次土地税制答申、昭和48年1月の答申が出ます。ここで①にあります法人の土地重課制度の創設と、②にあります特別土地保有税の創設が行われます。

 次のページに入っていただきたいと思いますが、これが重課税の走りでして、ロにありますように、昭和43年、44年税制が昭和50年で一応タイムスパンが切れますので、昭和51年からの譲渡所得については、当時激しい議論がありました。そのときのムードはまだ列島改造後の余波が残っており、どちらかといえば譲渡所得に対して非常に重くするというような感じが一般的な風潮でした。そのためもあり、ロに書いてありますいわゆる4分の3総合課税、要するに2,000万超の部分について2分の1課税しないで4分の3についての総合課税を行うことにしました。この4分の3総合課税の考え方は、理論的にいうと昭和44年1月1日以降の地価上昇の部分は5年を過ぎても2分の1課税しないということです。ただ、この重税ショックは非常に大きなものでした。経済が少し低迷したこともあり、譲渡所得ベースで51年には前年のほぼ半分まで落ちております。さらに、この重課税の流れは地方税にも及んでいまして、昭和50年度改正で事業所税が創設されます。ただ、事業所税はスタートの段階、昭和40年度後半において各省庁で列島改造新税を打ち出した時点では、集中抑制という感じで出ましたが、結果的には地方税であることもあって、大都市財源の拡充ということが表に出てきます。内容については皆さんご存じだと思います。
 ②のところで課税対象は、事務所事業所の用に供する建築物の新増設、これが新増設課税です。それから事務所事業所そのものについては資産割とか、それから従業員割の課税があるということです。現在の課税形態がここで確立して、スタートします。ただ、①にありますように、スタートは東京都の特別区なり人口50万以上の市に限られていましたが、すぐ翌年、人口30万人以上に法律改正が行われました。これはある意味では集中抑制という感じからすると、ちょっとおかしいのではないかという議論が非常に一方で強かった事案です。
こういう経過を経て(3)にありますように、法人重課税とか特別土地保有税が少し見直され、長期譲渡所得に係る2分の1課税も、昭和57年に4分の3課税をやめて復帰するということで、国税に関してはほぼこの辺で普通の安定税制に移ります。一方、地方税に関しては都市計画税が53年に0.3%に上がるとか、56年に不動産取得税の税率が4%に上がるということで、やや重税基調、地方財源の補充ということが大きな課題として入ってまいります。



■平成バブル発生期の土地税制

 それから、多少時間が飛びますが、8ページ以下で今回の平成バブルの発生・崩壊期の土地税制に入らせていただきます。この事象については、1のM2+CDの状態、株価の状態、地価の状態については、皆さんご存じのとおりです。ざっとお目通し願えればいいと思います。
 税に関しては 9ページ以下でまとめてみました。平成バブル発生時の土地税制は、ご存じのように、平成2年10月の「土地税制のあり方についての基本答申」がすべてです。ただ、ここでは基本的な考え方として、土地の私的な保有・譲渡または取得について、一層の税負担を求めることが必要とされ、土地政策における税制の役割について、補完的、誘導的なものとしてきた従来の税制調査会の方針を改めるということをしました。特に保有税の重要性を指摘して、まさに一般的な土地保有課税としての新たな国税としての土地保有税を創設するということがなされました。それから固定資産税については、資産の使用収益し得る価値に応じて経常的に負担を求めるものであるので、土地の収益価格を目標として評価の均衡化を求めることが目標にされました。

 具体の税制については、それからあと土地の保有、譲渡、取得に関して、重課することを基本方針としました。具体的にはご存じのとおり、ロの①で書いています地価税です。ご存じだと思いますが、この地価税率0.3%というのは、ここに書いておりますように、固定資産税の非住宅用地の実効税率のほぼ最高値が実効税率ベースで0.4%であったこと。それが当時、平成元年では実効税率が0.2であったことから地価税の税率0.3、即ち実効税率0.2(0.3×0.7)によってその状態を回復するという理由づけが行われていまして、これを国会の答弁で繰り返し説明されております。また、譲渡所得関係税の見直しについても多分皆さんご存じのことでございます。
 一転、③に書いてございますように、平成3年の固定資産税改正というのがございます。これは平成15年が評価替えの年です。ここで法人の非住宅用地について、次のページに入ります。従来余りなかったことですが、従来、負担調整措置が上がる場合に毎年1.3%とか1.2%上がっていくわけですが、法人のものについてだけ1.4%という特例を設けます。これが人的な差を固定資産税等についてつけるべきかどうかというような大きな議論があるところだと思います。
 そういうことから、この基本答申については、現在まで残っている問題として、その基本である土地の資産価値に担税力を求めた地価税が税として妥当性があるかの疑問が出されております。基本的に固定資産税と両立し得るか。結論としては両立し得なくて現在停止に追い込まれたということだと思います。
 それから非常に問題がありましたのは、恒久税制か暫定税制かという問題を立法時に明示しなかったこと。それから保有を重くするというのは、一つの論理としてあり得たとしても、同時に譲渡までを重くした結果、土地取引の凍結を生じさせてしまったということがあろうと思います。



■平成バブル崩壊時の土地税制

 問題は、特に保有に関しては、次の③の平成バブルの土地税制です。平成バブルの崩壊は、先ほどの資料を見ていただきますと、平成3年ぐらいからやや下がって、平成4年で大きく出てきます。地価公示ベースでも、平成4年の地価公示がマイナス4.1%ですので、本来平成3年の間に全国的に地価下落が起こっていたのだろうと思われます。それから東大の西村先生等によりますと、もう昭和62年ぐらいから大都市、東京を中心として地価は既にどちらかといえば下がり気味であったということが言われています。そのような状況の平成4年に、先ほどの地価税が導入された。それから次にありますような固定資産税の7割評価の実施によって、一般的な保有税としての固定資産税で重課税が始まります。この内容をちょっと経過的に①、②、③と追っていますのは、政府税調答申は中長期的に収益価格を目標として固定資産税の強化を図るということです。自民党税調はその直後に出ましたが、平成6年の評価替えにおいて地価公示価格の一定割合で評価替えをやることになりました。税のポジションの違いがここでもう出ています。自民党の税調の結果を追っかけて、自治省が平成4年1月に7割評価通達を出します。これで評価の実務が始まりますが、地価下落の真っ最中です。非常に地方団体での混乱があって、④にありますように自治大臣は今回の固定資産税の見直しは、土地評価の均衡化、適正化を図ることが目的であり、増税を目的とするものではないという書簡を全国市町村に出して、評価の実施を求めたという経緯があります。結果は全国加重平均で3.96倍でございます。ただ、そうすると、先ほど来の明治の例からすると、税率を4分の1にするということですが、実はそこで行われた負担調整措置は住宅用地の特例について、小規模の特例を4分の1から6分の1に、一般住宅を2分の1から3分の1にするということで、非住宅については負担調整措置をなだらかにするということで終わったわけです。

 次のページに行っていただきますと、今年あたり非常に問題になっています登録免許税等ですが、固定資産税の評価額は課税標準とされている登録免許税は100分の40。それから不動産取得税は課税標準を2分の1にするという、各税についての特例措置を講じましたが、この時点は、実は先ほど申した3.98倍という最終的な評価の結果が出る前に負担調整措置が決まるという、本来あってはならないようなことがここで行われております。こういうこともあって、ご存じのように不服審査が激増したということです。
ここまでが一番私がお話ししたかったことで、その後の経緯はまさにデフレの進捗下において、これをどう本来の税に戻すかという作業です。
 平成8年は地価税率が1,000分の1.5とのことですが、微調整が行われます。
 平成9年に固定資産税については、いわゆる負担水準の議論が入ります。この負担水準の議論はいろいろ見方があると思いますが、私は7割評価による評価額がそのまま課税標準のあるべき水準ではないということを法律上明示したという意味では、やはりそこは評価すべきではないかという感じが現時点でもしています。
 なお、この平成3年、4年の税制を抜本的に改革する結果は、平成10年を待たないと完成しません。ここで大まかに書いてございます。地価税の課税停止。それから法人の土地譲渡益重課制度の停止。それから事業用資産の買換えの課税特例の拡大。これは結果的に昭和38年の買換えに近い格好に戻したということです。それから個人の居住資産の買換えの特例等の制度が行われまして、ここで土地税制の抜本的な見直しが行われたと言っていいのではないかと思います。



■その後の土地税制改正の主要事項

 その後の土地税制の主要な改正事項は、皆さん方、もう目に触れていらっしゃるのでおさらい的に書いておくべきことですが、平成11年に少し譲渡所得の税率が緩和されました。平成12年に固定資産税制度の見直しが行われました。これは平成9年に、平成12年にきちっとあるべき負担水準を示して、将来の負担のあり方を決めるのだと宣言していたのですが、結局それができませんでしたので、負担水準の条件を平成14年に70%へ下げるというやや微調整的なことで終わってしまいました。
 それから平成15年、登録免許税について期限つきで軽減税率がスタートします。不動産取得税についても同じです。まさにこれが今年の税制改正の最大の眼目、問題点になるわけです。それから特別土地保有税について課税停止。それから事業所税に次いで新増設についての課税の廃止。それから積極的な意味がありますのは土地再生特別措置法に基づく都市の再生緊急整備地域での民間都市再生事業について、所得税、法人税との割増償却や登免税の流通税の軽減が図られたというようなことがあります。それから相続税について、ずっと戦後70%台であった最高税率が50%に引き下げられました。
 それから平成16年の改正で、譲渡に関して分離比例税率20%ということがスタートするわけです。これにあわせて、いわゆる譲渡損失についての他所得との損益通算の禁止というのがありまして、これは所得税の中で大きな議論を呼ぶことだと思いますが、議論を呼ばないままこれが成立しています。



■土地保有課税方式の変遷

 ということで、ざっとお話し申し上げましたので、ちょっと私の造りました資料の最後に附表というのがついております。ちょっと今まで私が申し上げたことの繰り返しになると思いますが、土地保有課税方式の変遷という表をつくりました。これは大きくいって上から3分の1くらいのところに二重線があります。それまでのところが戦前期でございます。下が戦後期です。戦前の保有課税の場合は、課税標準に一定の表現をしたときに、その決定方式として、例えば地租改正条例等では、収穫または地代の資本還元方式でやりますよということです。それからそのずっと右に行っていただきますと、先ほど申したように本来、地租は100分の1が相当だけれどもというようなことが書いてあります。それが地租条例でなくなりましたねということを表にしています。それから明治43年の宅地地価修正法、それからそれに見合う条例改正ですが、このときは賃貸価格の10倍をもって地価とするということを、これはまさに法律の条文として書いて税率を決める。これはまさに一番右にあるように、宅地修正は国庫の増収のためではなく負担の公平のためのものであるということから、こういうことが行われました。それから昭和の地租法では土地の賃貸価格に課税標準を切り替えるという大作業をしました。これはまさに一番右にありますように、地租の収益税たる性格に則した体系をここで構築しようということです。

 戦後はシャウプ税制から始まり、シャウプ税制の欄は決定方式のところにありますように、賃貸価格に時価補正をやって資本化するという、やや収益還元価格を勧告自体では明示しております。そういうことで、結果的に賃貸価格では時価の8%程度超を上限としたのではないかと見られます。その次からが、やや問題がありまして、固定資産税評価制度調査会のものは、各資産を通じて正常な条件のもとにおける取引価格というのを新固定資産税評価基準にかけますが、答申では税率の引き下げを行って、固定資産税の総額を現行制度と同額にするということを一応答申しましたが、結果的には税率修正はしなかったということです。先ほどと同じように評価制度の改正の趣旨は評価の適正均衡を確保するものであるということです。平成6年の最近の評価替えは、答申では固定資産税の評価額は収益価格だと言っています。そのために地価公示価格の7割程度が相当だということで通達をしました。ただ、全体として4倍の評価になったにもかかわらず、税率面では住宅用地について課税標準の特例をつくっただけということに終わっていまして、先ほど申したように明治憲法の租税法律主義を明定したということからすると、明治の時代の方がこういう課税標準決定方式、税率等について非常に法律というのか、国会の審査が行き届いているという感じが非常にしたものですから、ちょっとこういう表をつくってみました。
 それからあと、2ページ目の附表は個人の土地の譲渡益課税の変遷、戦後分についてざっとまとめました。実質スタートは昭和28年の2分の1総合課税からです。大変な変遷を繰り返していて、私も克明に追ったつもりですが、やや不安が残るような、非常にめまぐるしい改正がこの間行われております。
 歴史の部分はざっと今申し上げたことです。13ページに戻っていただきまして、諸外国の土地税制という部分です。これは全部お話しすると多分時間がなくなりますので、ちょっと拾い読みみたいな格好で、どんなことに私が関心を持ったかということを申し上げたいと思います。



■諸外国の土地税制

 この資料は、どちらかというと各国別に保有、譲渡、流通面で書いていますが、特にこれから我が国の保有税制を議論するとき一番参考になるのは、やはりイギリスとアメリカの保有課税のあり方だろうと思います。



■イギリス

 イギリスの保有課税は非常に歴史が古くて、立法としては1601年、エリザベス女王のときに救貧法というような法律でレイトを実定法にしたということが通常の本に書かれています。これがいろいろな変遷を経て、現時点ではビジネス・レイトという事業所税とそれからカウンスル・タックスという地方住宅税の二つになっていますが、ベースはまさにレイトです。その直前はビジネス・レイトがノン・ドメスティック・レイトであり、地方住宅税がドメスティック・レイトと一線を引かれていたものが、サッチャーの税制改革によって大変革を被ったわけです。この前段のビジネス・レイト、事業所税は対象を非居住用不動産の占有者を納税義務者として、国で統一評価による賃貸価格を決定して、税率も統一税率による点で非常な特色を持っています。ただし国税ですが、入ってきた税は全部地方に人口比で分配するということで、大蔵省が国税の保有税があるというのを一時宣伝しかかったことがあります。しかし、よく考えてみますとこれを純粋の国税と見ることはできないのではないかと思います。
 私がこの税について非常に関心を持つのは、次の事業所税導入時の調整措置という部分がありますが、ここに書いていますように、このレイトは1973年の時点の賃貸価格でずっと据え置かれてきたわけです。これがサッチャー改革の対象になったわけです。結果的に評価額を据え置くものですから税率を上げてきたというものです。実施時で平均税率が258%という税でございます。これをサッチャー改革によって1988年4月1日を価格時点として再評価を実施しました。その結果、評価額が約8倍になったと言われます。したがって1990年の時点では、ここに書いてございませんが34.8という税率をおきました。ということは評価額が約8倍になったので、税率の258というのを8分の1にするのを目処に調整を行い、1990年の新税をスタートさせたという経緯があります。こういう改革をやるときに税収を一応同一としながらやろうとすれば、結局こういう評価額の上昇に見合う税率改定をせざるを得ないということだと思います。

 それから少し戻りますが、1 イギリスの(1)の保有課税の後段に「一方、地方住宅税については」とあります。これはサッチャーがコミュニティー・チャージという人頭税を導入しようとしたわけです。これは、どの人でも必ず一定の、大きな負担ではありませんが税を払うということでコミュニティー・チャージとやったのですが、これがサッチャー退陣の火種になったわけで、そのためにコミュニティー・チャージを地方住宅税(カウンスル・タックス)にしたわけです。これはちょっと特殊な税です。全国、各住宅の住戸を八つに評価帯ごとに分類をして、それで割合を決めておく。これは完全な地方税でして、地方団体が今年要る金を、その8分割された評価の割合に応じて割り当てるということです。したがって議会で、例えば1億、何々町で予算が必要だということでカウンスル・タックスをやろうとすると割当がきます。今年は2億になるとともかく倍になるというものです。それが反対ならば議会で反対して、いや2億は大きい、5,000万にしろと言えば去年の税額が半分になるということです。これはマクロ的に言うと、私の読んだ本ではイギリスの地方団体は半分が国庫補助、4分の1がビジネス・レイトから来る配分金、それから4分の1がカウンスル・タックスによる部分でして、地方財政の4分の1の部分でそういうことをやっているというのが、トータルの見方ですが、非常におもしろい制度です。

 それからイギリスに関しては、日本で開発利益税の議論が戦後ずっと詳しく議論されました。私自身もちょっと興味を持って訳したこともあります。ただ、結果的に労働党政権がやった開発用地利益税は失敗だというのが定説です。趣旨は、開発負担金制度によって開発をどちらかと言うと促進しようとしたのですが、結果的には開発抑制にしかならなかったというのが現時点における定説です。したがってイギリスでは、キャピタル・ゲイン課税は1965年財政法でスタートしたキャピタル・ゲイン課税が結局現在は一般税制になっています。これはいろいろな変遷を経ていますが、次のページにまた①、②、③、④と書いていますが、ちょっと今日は省略します。イギリスのキャピタル・ゲイン課税で、結果的に我々が非常に興味を持つのは、事業用地、事業者のキャピタル・ゲインに関し、ここのCGT(キャピタル・ゲイン・タックス)では、取得価格をどんどん減らすというよりは増やしていって、それで売買価格との差額(キャピタルゲイン)を縮めるということを、イギリスのキャピタル・ゲイン・タックスはやるわけです。その累進度が非常に高い結果、例えば今、イギリスの場合は4年ぐらい保有していると税率ベースでは5.5%ぐらいまで下がってくる。日本では今20%ですか。そういうようなことが言われています。それからイギリスの流通税は、これは非常に古い税で印紙税(Stamp Duty)があります。ここは日本の印紙税なり登録免許税の一つの母国でございますが、最近では低額な部分に関しては完全に非課税の部分が多くなっています。ずっと長い間1%の定率課税だったものをここ数年いろいろいじり出していまして、毎年非常に問題になるぐらいの変化がありまして、なかなか追いつけなくなっています。結果的には通常の財産譲渡には余りアプライされないような結果になっています。



■アメリカ

 それから、後は要点だけ申します。アメリカの保有課税については、これはいろいろな本がいろいろな紹介をしていますが、ここに書いていますように、非常に多種多様という一言で足りると思います。余り日本で紹介されない部分で、14ページの提案13と最後の方にちょっと私が書いています。これは1978年にカリフォルニア州で憲法改正によって保有税の上限を決めようという提案が可決されます。これは評価額の上限税率を1%以上にはしないということ。それからもう一つ、非常に法律上の問題がありましたのは、取得価格以上にはしないということです。その両方で上限を縛るという構成をとりました。これが当然のことながら州憲法の他の条項、それから連邦憲法の平等条項等の関係で大きな裁判上の問題を生じました。これに関する著書も多数ありますが、結果的にこのカリフォルニアの反乱によりまして、15ページの上にちょっと書いておきましたけれども、アメリカの資料によりますと、その前はカリフォルニアの不動産取得税の実効税率は2.5%ぐらいであったものが0.55まで減少します。マクロ的にもアメリカ全体で、後ほどちょっと表を示しますが、国民所得に対する保有税割合が1970年代から1980年代にかけて激減します。1.5%ぐらい下がっているようです。そういう意味で、アメリカの保有税は連邦税ではなく州税ですが、その負担の上限を制度として決めるという決め方ないしはその内容については、我が国の固定資産税を見る関係で非常に参考になる部分です。
 なお、アメリカの譲渡課税は一般的に一時ちょっと変わったことがございます。ここに書いていますように、日本に比べてキャピタル・ゲインの課税の税率は低くなっています。だからアングロサクサンの国はどちらかと言えば、余りキャピタル・ゲインを重くしないとまとめていいのではと思います。



■フランス及びドイツ

 それからフランスとドイツは、正直言ってフランスの保有税は税目が多くて批判が非常に多いというのが、どの本にも書いてあることです。それからドイツの不動産保有税は、これは16ページのところに書いていますが、皆さんご存じのように統一評価法とか何かという法律があって、結局1964年1月1日の統一価格以降の評価替えが行えないで、実際上もう50年ぐらいたってしまったというようなことになっています。その結果、1995年にドイツの連邦憲法裁判所はこれを使っていた財産税について違憲判決を行います。それから同じように相続税について違憲判決を行います。それでドイツの場合、この評価方法について大転換をいろいろ行っておりまして、結果的にはまだやや試行錯誤の段階に近いと思います。
 それから譲渡税については、ここで書きましたけれども、最近またフランスとドイツに関してはいろいろな変更がありまして、どちらかと言えばイギリス、アメリカは軽課に、フランスとドイツはイギリス・アメリカに比べて、どちらかと言えば譲渡税に対して重くする方に少しずつ動いているような感じがします。
 流通税は多分各国いろいろな競争状態があると思いますが、フランスがかつて非常に高くて不評であったものが、現在は相当程度下げてきているということですし、ドイツの場合は逆に、先ほどの憲法違反判決によって財産税が動かなくなったことから、その分を、不動産取得税で補おうということで、従来の2%が3.5%までほぼ倍増したというようなことが出ています。



■国民所得に対する保有税の割合

 最後に、この諸外国比較でよく日本は保有税が安い、高いという話が出ます。17ページをちょっとご覧下さい。この表は、昭和44年度及び55年度税制改正資料によるというような、何年に何回か税制調査会で国民所得に対する保有税の割合というのをやっているものと、たまたま昭和25年からの資料があったので追っかけてみました。結果として大方言われるように、アメリカとイギリスが国民所得との関係では、やや大きめです。それから日本とフランスが似たり寄ったりですが、ドイツは完全に昭和50年以降から急に低くなっています。これは先ほどの統一評価法に基づいて評価が固定されていますから、実効税率が0.1%ぐらいだと一般に言われていることです。こういう表を議論する際にちょっと留意しなければいけないのは、イギリスの場合は先ほど申しましたように、地方税としてはいわゆるカウンスル・タックスと結果的にビジネス・レイトしかないということです。したがって、いわゆる住民税的なものがどっちかといえば今の制度ではカウンスル・タックスだろうと思いますが、この表ではまさに財産税として書かれています。したがって日本の場合との比較では、固定資産税と住民税で地方団体の経費を賄うわけですが、イギリスの場合はビジネス・レイトとカウンスル・タックスでそれを賄うという意味で、固定資産税の比率だけで低い、安いが決められないのかなという感じがします。
 それから、各国の保有税の中に入ってくる税目を仔細に検討しますと、フランスの住宅税もそうですが、非常に所得にデベンドする部分が非常に多いということがありまして、果たして本当の日本の固定資産税でいうような税なのかどうかというのは、きちっとした検証が要ることであり、この比較はざっと見るにはいいのですが、こういうことから安過ぎるの、高過ぎるのというのは、なかなか言うべき筋合いのものではないのではというのが私の感想です。



■今日的課題

 最後に、今日的課題ということで三つ事項を挙げておきました。それは1番目が保有課税(固定資産税)における租税法律主義。特に租税要件法定主義の軽視の問題です。これは端的に申しておわかりだと思いますが、平成6年税制改正における通達による7割評価への移行が私の頭にあります。ただ、先ほど来お話しましたように、戦前期の例えば明治43年の税制とか、それからイギリスのビジネス・レイト等のあり方から見て、やはり保有税に関しては課税標準をきちっと法律に考え方を明示して、それがある意味では議論に堪えるようなことをやって、国民に対し納税を求めるべき性質のものだと思います。日本は結果的に、先ほどの表でわかりますように、戦後は逆に民主主義になったおかげで、本来、税に対する関心の目が行き届くべきであるにかかわらず、どちらかと言えば今回の7割評価を含めて、租税法律主義が軽んじられているのではないかという感じが非常にいたします。

 その次に「どうして日本の納税者は勝てないのか」とかぎ括弧で書いています。これは金子先生の論文集に出ていたアメリカの租税学者のラグ マイヤーなどのつくった表題です。彼らは非常に計数的に、日本の裁判所で政府の勝訴率が地裁レベルで1994年時点で94%で、これはちょっと異常というぐらい高いです。なぜ、そんなことが起こるのかという、好奇心から出た論文です。ちょっと紹介する時間がありませんが、確かにドイツはある資料によりますと、訴訟になったときの納税者の勝訴率は判決中15%ぐらいだそうです。日本は先ほどの例で言うと、せいぜい勝っているのが5%程度ということになります。それから私が実態を聞いて非常に驚いたのは、イギリスのビジネス・レイトは、やはりあれだけの大改革ですので、1994年の評価の際、それから95年の評価の際にいわゆる日本流に言う不服審査が多数出てきます。結果的にイギリス政府の報告によると、最初の評価替えのときには当初の査定、納税通知との関係で言えば9%の減が不服審査によって生じたということです。95年のときには5%の減が生じたといいますから、大きく言えば1割近く不服審査で課税側が負けているわけです。日本の場合は7割評価という、ああいう相当乱暴なことをやっても、と私は思いますが、果たして減税まで勝ち取ったかどうかはよくわかりません。どうしてこういうことが起きるのかという話です。

 一つは、1で書いたように法律の規定の仕方が訴訟に堪えないような、「適正な時価」と書いてあると、はっきり言うとどうとでも解釈できるというような部分があろうと思います。もう一つは、これはまさに専門家のいろいろな議論を経なければいかんですが、現在の最高裁の租税に関しての裁判の実例として、非常に各裁判所は多用しますのは、いわゆる大島判決という、京都の大島さんという大学の先生が所得税で経費の算入を本来もう少し拡大すべきだということを争った事案の大法廷判決で、どちらかと言えば租税に関しては立法府の裁量権を最大限に認める判決をいたしてございます。その裁判自体については、私は議論をする能力は全くありませんが、どうも私の感じでは、これはまさに所得税の話で、所得税が立法技術上、法規的に非常に面倒だとか、所得税の税率その他に関して立法府がそれなりの大きな裁量を持たざるを得ないということは認めるとしても、土地の評価とか土地の課税のように非常に定型的で、立法府の裁量権を入れる余地がそれほどないようなものについても、判決例を見ますと専らこれを多用して納税者の方を負けさせているという例が多くなっています。例えば、平成6年の7割評価に関して争った東京地裁等では、例えば7割評価の通達は、裁判所によると、これは納税者の保護のために、納税者の利益のために出した通達であって、それ以上納税者の方からこれを争うのはどちらかといえば妥当ではないというようなこと、税の各事項に関して行政といいますか立法府の裁量を非常に過大に認めるようなのが一定の底流にあります。この1と2はあわせて今後の課題とすべきものと思います。
 それから3番目に土地税制における公平・簡素の租税原則の貫徹と書きましたが、一つは簡素化の問題です。シャウプ税制は、土地に関しては先ほど申しましたように固定資産税だけです。その後、不動産取得税ができ、都市計画税ができ、一旦特別土地保有税ができ、さらに事業所税ができ、一旦地価税ができというように非常に複雑化しています。これはおかげさまで簡素化の方向に向かいつつありますが。土地に着目した税でこれだけ複雑なのは、多分諸外国を見てもフランスぐらいで、余り参考にならないと思います。まさに、これからのあり方として簡素化するべきだと思います。もう一つは、やはり公平というのは、まさに水平的公平と申しましょうか、バランスの問題が一つあると思います。それと同時に固定資産税等では、やはり本来、公平の原則に対してどうかと思います。要するに租税の担税力に応じてきちっとした税を納めるルールが出来ているかどうかということでして、その意味で固定資産税は税目としてはまさに応益税なのですが、負担の関係で言えば、それをもって払う人が、本来払うに値するような利益をそこで得ているということが大前提であろうと思うわけです。そういうことについて、納税者サイドから見るとまさに土地が払うわけではなくて、それを利用している人が払うわけです。ここはアメリカの保有税の議論で大きな議論になるところですが。結果的に保有税、プロパティ・タックス、日本でいう固定資産税も、要するに払うのは個人、持っている人、それを利用する人が払うのだから、その人が払える限度が限界なのだということです。いかにその土地が高かろうと、客観的に美しかろうと、そこを現に利用している人、一般的に利用している人が払える限度を超した税というのは、公平原則に反するのだという議論を、かつてアメリカでセリブマンという人がしています。そういうことについても、やはりこれから我々も研究し、ぜひ、主張を貫いていかなければならないと思います。
以上で私の話を終えたいと思います。ご静聴ありがとうございました。


平成17年11月10日 於:発明会館