第7回国際土地政策フォーラム 発表要旨 「米国不動産ローン市場の証券化:発展と欠陥、日本への教訓」 ケリー・D・ヴァンデル ウィスコンシン・マディソン大学教授 (不動産・都市経済学部ティーフェンターラー教授職)
1. はじめに 米国の不動産ローン市場は近年、証券化という効率的なシステムに向けて大きく動いており、不動産向けデットキャピタルのコスト低下、その有用性の向上、様々な借り手クラスへの販売経路拡大などが見込まれている。しかし、様々な市場、規制、法的な理由から、その発展ぶりにはバラツキが見られる。イノベーションの歪み、投資方針の誤り、あるいは単に過剰な貪欲のせいで、不動産ローン担保証券(MBS)市場で深刻な問題を引き起こしている「事故」も頻発している。本稿の目的は、米国における不動産ローン証券化の発展を、発展を助長している要因や制約している要因、さらには、いろいろな問題を引き起こしている出来事−そうした出来事はなぜ起きたのか、なぜ警鐘を示唆しているのか−に目を向けながら、跡付けることにある。以下では、不動産ローン証券化に向けて歩み始めている日本への教訓を引き出すという観点から、議論を進めたい。
2. 住宅ローン担保証券(RMBS)市場 米国における不動産ローンの証券化は、政府機関の政府抵当金庫(ジニーメイ)によって住宅ローンのプールを裏付けにした証券、住宅ローン担保証券(RMBS)の第1号が売却された1968年までさかのぼる。このいわゆる「ジニーメイ債」の第1号は今日の基準から見るとまったく時代遅れのものであった。政府の保険に入っているか、政府の保証(FHA=連邦住宅庁/VA=退役軍人庁)が付いている、同じ日に同じ金利で起こされた固定金利の住宅ローンだけで組成されていたのである。プールは極めて大きく、出資証券は10万ドル単位で限られた投資家に販売された。70年代から80年代初頭まで、RMBS市場はファニーメイ(連邦抵当金庫)やフレディーマック(連邦住宅金融抵当金庫)といった流通市場の準政府機関へ、さらに民間の保険に入っている(通常はもっと規模の大きな)「コンベンショナル」住宅ローンへ、そしてついには「導管体」と呼ばれる民間の発行体による非コンベンショナル「ジャンボ」(非常に規模が大きい)や「サブプライム」(信用力の低い)ローンのRMBSへと拡大していった。プールを構成するローンは徐々にタイプ、規模、返済期間、実行日の多様性を強めていった。最初は、すべてのプールが住宅ローンの返済や期限前返済による全キャッシュフロー(もちろんサービシング手数料とプール組成料を差し引いて)を投資家に持分の保有割合に比例してパススルーする(そのまま支払う)だけの「パススルー証券」として組成された。大部分の銘柄は、元利金の期日通りの支払いが連邦政府や発行体によって保証され、(政府や民間の)住宅ローン保険の支払いによってサポートされていた。次第に、投資家層も、機関投資家はもちろん、投資会社や金融機関、さらに個人にまで広がっていった。個人がこうした商品に投資するようになる上では、ミューチュアル・ファンド(投信)や後には住宅ローン担保証券で構成されるREIT(不動産投資信託)が大きな役割を果たした。
RMBS市場がこのような発展を遂げ、急速に普及していった背景にはいくつかの理由がある。 n 住宅ローンは、政府がずっと以前から市場の標準化と持ち家の奨励に取り組んできていたので、その商品性、返済期間、引き受け基準が極めて同質的であった。 n 住宅ローンについては過去の期限前返済、支払遅延、債務不履行などの状況に関する膨大なデータベースが存在していた。このおかげで金利リスク、期限前返済リスク、債務不履行リスクなどのモデル化が進展し、住宅ローンと住宅ローンプールの評価が容易になった。 n 以前から住宅ローンを対象とする政府や民間の保険や保証が存在しており、それが債務不履行リスクの緩和に役立った。 n ジニーメイ、ファニーメイ、フレディーマックといった政府機関や準政府機関が存在しているおかげで、すでに住宅ローン流通市場の広範な発展が促進されていた。そうした機関は強い影響力と高い市場シェアを持っていたので、証券化商品の導入に大きな影響力を及ぼすことができた。 n こうしたイノベーションを求めるニーズが存在していた。住宅ローンの一次的な所有者や二次的な所有者は、バランスシート上、資産と負債の存続期間のマッチングに関するポートフォリオ目標にそぐわないホールローン資産を抱え込んでおり、流通市場で希望の商品と交換するには比較的高いコストがかかった。 n RMBS市場の発展を後押しし、助長するのに必要な規制や法律が徐々に整備されていった。例えば、ジニーメイの設立とその証券発行を可能にした1968年住宅都市開発法、フレディーマックの設立とフレディーマック、ファニーメイによる住宅ローンを裏付けにしたパススルー証券市場への関与を可能にした1970年緊急住宅融資法、多数のストラクチャーを持つREMIC(real estate mortgage investoment conduits)を非課税にするとともに、REITによるMBSや住宅ローン(さらに、もっと一般的にはエクイティー)への投資を認めた1986年税制改正法などである。 n そして最後に、RMBSは利益をもたらした。住宅ローンがプール化されると流動性が増し、リスクが分散されることから、裏付けとなっている住宅ローン以上のプライシングが促され、プールの組成者や発行体は組成コストを相当上回る利益をあげることができたのである。特にウォールストリートの証券会社や投資銀行がこの市場に参入し、民間のRMBS(後にはデリバティブや商業用不動産ローン担保証券)が組成されるようになってからはそうである。
1984年までには、住宅ローン市場の22%がすでに証券化され、新規に実行されたローンの40%がプール化されるようになっていた。
3. 商業用不動産ローン担保証券(CMBS)市場 CMBS市場の萌芽は、ジニーメイによる政府保証付き(FHA)の集合住宅(賃貸)担保ローンを裏付けにしたパススルー証券が初めて発行された1970年までさかのぼる。ファニーメイとフレディーマックもすぐに追随し、70年代末には最初のコンベンショナル集合住宅ローン担保のパススルー証券を発行している。しかし、この市場は小さく(71〜75年に実行された集合住宅ローンのわずか3%)、他のタイプの商業用不動産にまでは広がっていかなかった。
本当の意味での米国CMBS市場の開始は、ペン・ミューチュアル・ライフ・インシュアランス・カンパニーが集合住宅以外(このときはたまたまオフィスビル)の商業用不動産担保ローンを裏付けにした民間のCMBSを発行した1984年までさかのぼる。後述する様々な理由から、民間CMBSの発行は80年代末まで低水準のままであった。しかし、発行額は、80年代末から90年代初めにかけての米国不動産危機によって発生した不良債権の清算などを行なった整理信託公社(RTC)が設立されると、急増した。RTCは最初、実験的にホールローンを個別にあるいはまとめて売却しようとしたが不調に終わったので、90年代初めに機関投資家向けに商業用不動産ローンの証券化を開始した。これによって一気に市場に弾みが付き、CMBS商品は機関投資家によく知られ、受け入れられるようになった。1995年までには、米国の集合住宅担保ローンの14%、商業用不動産担保ローンの6%が、証券化された。CMBSの買い手は主に銀行、保険会社、その他の機関投資家であったが、個人も一部のモーゲージREITやCMBS商品の組成や投資を専門的に行なう投資会社を通じてCMBSを購入することができた。90年代半ばまでには、活発な民間CMBS市場が確立され、ウォールストリートの証券会社や投資銀行、銀行、その他の金融機関、大手モーゲージバンキング会社、一部のモーゲージREITなどによって様々な市場(集合住宅、オフィス、小売り店舗、産業用不動産、住宅と事業所の兼用不動産、ヘルスケア施設など)の商業用不動産担保ローンのプールを組成する民間の導管体が設立されるようになった。プールは地理的に分散している同じタイプの物件(大半は中層ビルなど)をまとめるのが普通で、10億ドルを超えるほどますます大型化していった。
商業用不動産ローンの証券化が住宅ローンの証券化より限られ、遅れた背景にはいくつかの理由がある。 n 商業用不動産ローンは、タイプ、返済期間、引き受け基準が極めて異なっているので、いろいろな商品を理解し、評価を行なうのが難しかった。比較的標準的な商品が登場したのは、経験を重ね、モーゲージ・コンソーシアムのような業界団体が引き受けと資料の共通化に乗り出してからであった。 n 過去の返済、期限前返済、支払遅延、債務不履行などの状況に関する一般に入手できるデータがほとんどなかった。このため、債務不履行リスクと期限前返済リスクのモデル化と評価が難しかった。商業用不動産流通市場証券化協会(CSSA)のような業界団体が音頭をとって業界横断的な個別ローンの過去のデータが収集され、公表されるようになったのはやはり90年代の半ばから後半にかけてであった。 n 商業用不動産担保ローンについては債務不履行リスクを軽減させられる保険商品や何らかの制度が整備されていなかった。これは今日でも同じであるが、債務不履行リスクは優先劣後構造やその他のデリバティブを使った商品性などによって処理できるようになっている(後述)。CMBSにおける債務不履行リスクの評価に大きく貢献したものの1つは、大手格付機関が1985年から格付制度を整備し始めたことである。CMBSの格付制度は債券の格付制度と整合していることを意図したもので、ストレステストやキャッシュフローに関する最悪のシナリオを用いて、発行体がどこまで困難な状況に耐えられるかを評価するものである。この格付は、債務不履行リスクをカバーし、より高い格付を取得するための留保金の確保に役立つばかりでなく、その後の優先劣後構造の発展にもつながった。 n ジニーメイやファニーメイ、フレディーマックのような、流通市場における強い影響力や高い市場シェアを利用して新規のCMBS商品の導入を後押しできる政府機関や準政府機関がなかった。80年代末から90年代初めにかけてはRTCが触媒役を果たしたが、RTCはその後、目的とする業務を終えると清算されてしまった。その穴は自主的な参加と基準の遵守に依存せざるを得ない業界団体によって埋めなければならなかった。 n 80年代末の不動産危機によって「キャピタルクランチ」(資金繰りの悪化)が生じるまでCMBS商品へのニーズは本格化しなかった。多くの貸し手はそれまで商業用不動産ローン市場の流動性の少なさと利回りの高さから利益を得ていた。しかし、資金繰りが悪化すると、流動性リスクの評価が見直され、多くの機関投資家は劣悪なホールローン商品を再度抱え込むという悪夢を避けられるだけの評価を要求するようになった。CMBS商品、特にデリバティブ(後述)への投資家は、90年代初めにその有用性が実証されるまで、実のところ少しもメリットを感じていなかったのである。 n 銀行と保険会社への自己資本比率規制の導入は最初、ホールローンではなく証券の形で住宅ローン商品を保有するインセンティブにならなかった。しかし、1989年金融機関改革回復執行法(FIRREA)の成立と全米保険監督官協会(NAIC)の活動により、銀行と保険会社は、ホールローンより証券の方が引当金所要額は少なくて済むので、CMBSを組成したり、CMBSに投資するインセンティブを与えられるようになった。 n 最初はCMBSを組成したり、一部の投資家クラスにCMBSを販売するための法律や規制が整備されていなかった。労働省が従業員退職所得保障法(ERISA)による税制上の恩典をCMBS商品にまで拡大し、年金基金がその投資ポートフォリオでCMBS商品を保有できるようにすることを検討し始めたのはつい最近のことである。多くの機関投資家のポートフォリオは今でもCMBS商品やデリバティブ(あるいは不動産商品全般)への投資に制限を設けている。 n 最後に、CMBS商品ははじめは、ウォールストリートやその他の将来の導管体の関心を引くほどの利益をもたらさなかった。商業用不動産ローンの証券化を金融市場の重要な商品として経済的に魅力的なものにするほどのマージンが得られるようになったのは、@流動性リスクの評価が見直され、A自己資本比率規制が変更され、BRTCが次々とCMBS商品を市場に投入したことで安心感が生まれるとともに経験が積まれ、CCMBS商品に内在しているリスクへの投資家の理解が進み、DCMBS商品の標準化が進展してからであった。
1995年までには、商業用不動産ローン市場の8%が証券化されていた(集合住宅ローン市場の14%、住宅以外の商業用不動産ローン市場の6%)。CMBS市場は、住宅ローン市場の証券化の水準には及ばなかったものの、1995年までには経済における資金循環にしっかりした足跡を残すようになっていた。
4. デリバティブ商品の組成と普及 初期のMBSはすべてキャッシュフローと債務不履行や期限前返済後の正味手取金を全額その基本的な保有割合に応じて投資家へとパススルーするパススルー証券であった。しかし、国債市場改革によって、初の「デリバティブ」のMBS商品が80年代初めに登場し始めた。これらの商品の特色は、キャッシュフローと期限前返済や債務不履行による偶発的な返済金の割り当てに比例配分以外の規則を導入したことであった。
最初のデリバティブ商品は不動産ローン担保債務証書(CMO)と呼ばれ、元本返済額による優先弁済順位が異なるいくつかのクラスないし「トランシェ」ヘと「垂直的に」キャッシュフローを分割したものであった。「Z」トランシェは、利息が最初に発生してから最後まで支払いを受けない発生クラスを意味する。住宅ローンを裏付けとする最初のCMOは1983年6月にフレディーマックによって発行された。住宅ローンのCMO、商業用不動産ローンのCMOとも、後には固定金利ローンをプールしたものも変動金利ローンをプールしたものも発行されるようになった。
2つ目のデリバティブ商品は、異なる投資家クラスに元利返済額への異なるシェアを割り当てることによって「水平的に」キャッシュフローを分割したものであった。極端な場合には、IO(利息オンリー)証券とPO(元本オンリー)証券という形(「ストリップ」証券と呼ばれる)にしてキャッシュフローを100%と0%に分割した。キャッシュフローと偶発的な返済金を「水平的に」分割するもう1つのタイプは、保証、留保金、超過担保などの信用補完スキームによって債務不履行リスクを格付の低い「Bピース」ないし「劣後トランシェ」へと押しつける「優先劣後」構造の導入によって示された。こうした商品性は、債務不履行リスクが保証あるいは付保されていないCMBSやサブプライムローンをプールしたRMBSにいっそう適したものである。
3つ目のデリバティブ商品は、一定の範囲内の元本返済保証を提供して期限前返済リスクを軽減しようとしたものである。PAC(Planned Amortization Class)やTAC(Targeted Amortization Class)のトランシェがこのタイプの商品の代表的なものである。
最後に、一部の投資家クラスは期限前返済リスクや債務不履行リスク以上に金利リスクを懸念していた。こうした投資家向けに、固定金利のキャッシュフローから変動利付債(「フローター」)が作られた。併せて、逆にLIBORなどの特定の金利指数に金利を調整する、フローターの必然的な「姉妹品」ともいえる「インバース・フローター」も作られた。
80年代と90年代には他にも多くの種類のデリバティブ商品が開発され、販売された。これらは、(ダーウィニズムは有機体ばかりでなく金融商品にも適用されると考えれば)中には需要の欠如や商品性の欠陥から姿を消すものも出てきて当然の実験的な商品であった。90年代半ばまでには、20〜50種類もの異なったトランシェに分けられて発行される数10億ドル規模の大型MBSが組成されることも珍しくなくなっていた。新たに登場したデリバティブ商品のメリットは、個々の投資家のニーズにぴったり合うように投資特性−存続期間、コンベキシティー、債務不履行リスク、期限前返済リスク、金利リスクなど−を「テーラーメイド」できることにあった。こうした金融エンジニアリングによって価値が生み出されるとともに、住宅ローン市場と商業用不動産ローン市場の効率性が高まり、コストの低下、アベイラビリティーの向上、あらゆる借り手クラスにわたる住宅ローンの広範な分布の促進につながった。
MBSのデリバティブ商品が開発され、様々な投資家クラスに受け入れられるようになったのは、以下の条件が備わってからであった。 n 異なる市場、借り手、経済シナリオが金利、インフレ、期限前返済と債務不履行の水準にどのような影響を及ぼすかについて十分に理解される必要があった。あるカテゴリーのリスクの全部ないし大部分が、パススルー証券の場合のようにすべての投資家に共有されるのではなく、デリバティブ商品を保有する一部の投資家に負わされることになるので、このことは特に致命的な重要性を持っていた。 n 投資家は特定のデリバティブ商品へのニーズを全体的なポートフォリオ戦略の一部として捉える必要があった。さらに、様々なデリバティブMBS商品の特性−存続期間、コンベキシティー、リスク特性−についても理解しなければならなかった。 n 投資家にデリバティブ証券への投資が認められるようになる必要があった。REMICが税制上の特典を受けられるようにした1986年税制改正法が成立するまで、モーゲージ・デリバティブは基本的に機関投資家の投資対象外に置かれていた。今日でも多くのデリバティブ商品には格付が存在しないこと、また、既存の格付制度が扱っているのはほとんど債務不履行リスクのみで、期限前返済リスク、金利リスク、流動性リスクなどのリスクは扱っていないことにより、MBSの多くのデリバティブ商品については依然としてフィージビリティーと市場の厚みが限られている。もちろん、このことは、これらのデリバティブの多くについては様々な経済シナリオや市場シナリオによる特性の理解が進んでいないこととも大いに関係している。 n 最後に、これらのデリバティブ商品は利益が出るものになる必要があった。ただ、この収益性の問題についてはまだ結論が出ていない。後述するように、いくつかの状況の下でパフォーマンスに問題が出ている結果、多くの投資家は組成コストに十分に見合わないとする慎重な評価を下している。
5. 事故 ここ何10年かの米国経済における不動産ローン証券化の普及は平坦な道程をたどってきたわけではない。実際、MBS商品は利用の仕方を一歩間違えると投資家に多大な損害をもたらすばかりでなく、−さらに大きな懸念材料として−経済システム全体の安定を脅かすことになるという事実を極めて明瞭に示す出来事もいくつか起きている。こうした出来事は、日本をはじめ、不動産ローンの証券化を推進しようとしているどのような国にとっても教訓になるものである。 n アスキン・ファンドとオレンジ郡。デビッド・アスキンは、高品質のMBSから成る多くのファンドを組成していた強気のMBSトレーダーであった。彼は高水準の流動性を保ち、レバレッジを低く抑えるとして、表向きはリスクの低い「市場中立型の」運用方針をとっていた。しかし、1994年になると、金利、特に短期金利が急騰した。資産6億ドルに上る4つのアスキン・ファンドは金利の上昇で「高品質の」証券の市場価値が下がり、破産を申請した。投資家は投資資金をほぼ全額を失い、そのあおりでMBS市場はすぐにストップし、訴訟が相次いだ(訴訟の一部は今でも係争中である)。アスキンはSECによって2年間証券業界から追放されるとともに、罪状認否をしないまま5万ドルの罰金を支払うことに同意した。シカゴ私立大学やオデッサ大学のものを含め、MBS商品やそのデリバティブに投資していた他の投資ポートフォリオも巨額の損失を被った。カリフォルニア州オレンジ郡も、MBS商品へのリスキーな投資によって破産するには至らなかったものの、短期のレポ取引を使って高度のレバレッジを効かせた、4〜5年物のファニーメイ債やフレディーマック債から作られたインバース・フローターへのリスキーな投資に参加していた。 n クリーミーメイ、オーウェン、野村。クリーミーメイは、CMBSのリスクの高い「Bピース」への投資に特化しているモーゲージREITであった。1994年から1998年半ばまでは金利と対国債スプレッドの低下・縮小により保有ポートフォリオの価値が上昇し、多額の利益をあげていたが、1998年秋にロシア金融危機の結果としてスプレッドが一気に拡大すると、ポートフォリオの価値は急落することになった。やはり逆レポ取引を使って高度のレバレッジを効かせていたため損失が膨らみ、クリーミーメイは10月5日に自己破産を宣言した。オーウェン・アセット・マネジメント・コーポレーションと野村のキャピタル・コーポレーション・オブ・アメリカも同じ投資をして(野村の方は高格付のトランシェに特化していたが)同じ運命をたどった。 n ロングターム・キャピタル・マネジメント。モーゲージ・デリバティブ取引が失敗した最後の事例−おそらく最も危険な事例−は、ヘッジファンドのロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)のものである。LTCMは元ソロモン・ブラザーズの債券トレーダー、ジョン・メリウェザーによって1994年に設立され、パートナーにはロバート・マートンとマイロン・ショールズという2人のノーベル賞学者が名を連ねており、債券の市場実勢価格と複雑なオプション価格モデルによって推計される名目価格のさやを抜くアービトラージ取引を行なっていた。債券市場や株式市場のほか、MBS市場にも参加し、ロング、ショート、先物のポジションを保有していたが、ウォールストリートの多くの証券会社や投資銀行とレポ取引や逆レポ取引を行なってポジションを支えていた。レバレッジ・レシオは25倍を超えるほど高かった。LTCMは、最初の何年かは年間のトータルリターンが40%台に乗るほど好調であったが、1998年後半のロシア金融危機をきっかけに「質への逃避」が起き、スプレッドが大幅に拡大すると、LTCMは一気に雲行きが怪しくなった。個別市場での損失、システミックリスクに備えた資産分散の怠り、流動性の無さに伴う問題から、LTCMは破たん寸前の状態へと追い込まれた。貸し手が資金の引き揚げではなくもう少し辛抱しようと考えたのは連邦準備理事会が介入したおかげであり、資金が引き揚げられていたら世界的に深刻な悪影響がもたらされた可能性が強い。
上述した1998年後半の一連の出来事によって、MBS市場−特にCMBS市場−は一時期完全にマヒしてしまった。格付の低い「Bピース」は買い手がまったくいなくなった。スプレッドは大きく(したがって価格的には割安)、債務不履行リスクは懸念材料ではなかったが、これらの市場の主要なプレーヤー−クリーミーメイ、オーウェン、野村、LTCM−が軒並み活動不能の状態に追い込まれたのである。証券化のペースは一気に落ち、既存ポートフォリオの価値は急落した。
市場が慎重な足取りながら発行を再開するまでに6ヶ月近くかかった。スプレッドは依然として1998年夏前の水準より大きく、REITではないGMAC コマーシャル・モーゲージ・コーポレーションやGE キャピタル・サービシズといった新たなプレーヤーが投資適格等級以下のCMBS市場に参入し、支配するようになった。発行されるMBS商品はいくらか小ぶりで以前より格段とシンプルなものとなり、トランシェ数も以前の20〜50ものトランシェに比べるとはるかに少なくなった。また、1つの資産クラスの銘柄も減り、複数の資産クラスの銘柄が増えた。今日ではMBS市場は元に戻り、住宅ローン市場の56%以上、集合住宅ローン市場の26%、商業用不動産ローン市場の14%が証券化されるようになっている。しかし、MBS市場は以前に比べると抑制され、慎重なものになっている。LTCM危機やその他の乱脈投資の結果として、連邦準備理事会による問題の徹底的な調査後、ヘッジファンドの運営やデリバティブ商品への投資に対する規制上の監督が強化されている。
MBS市場や経済システムの安定に関して問題になりそうな事柄がもう1つ浮上してきている。連邦予算の黒字化と国債の発行停止(と償還)によって、連邦準備理事会は主要な金融政策手段である公開市場操作で利用する最大の商品を失ってしまったのである。公開市場操作で国債に代わって利用できる連邦機関債のうち最も発行残高が大きいのは、ファニーメイとフレディーマックのMBSである。しかし、FRBはこれらの商品に内在しているインプリシット・リスクを懸念しており、この2つの機関の投資とファイナンスの状況をこれまでより詳細にモニターする必要があるという効果的なコメントを度々出している。
6. 日本への教訓 CMBSの第1号が1999年3月に、RMBSの第1号が1999年5月に、それぞれ発行されてから、日本は急ピッチで不動産ローンの証券化を進めており、証券化市場は年率100%以上のペースで拡大し、10年後には約15〜20兆円(1,400〜1,900億ドル)規模に達するものと見込まれている。日本の証券化市場は、今はまだローン残高の1%に過ぎないが、世界第2の市場へと発展していく可能性を秘めている。日本におけるMBS市場の一層の安定的な発展を期待する向きはこれまで述べてきたことから多くの教訓を引き出すことができる。
n 米国ではジニーメイやファニーメイ、フレディーマックなどの政府機関や政府関連機関の存在がRMBS市場発展の大きな原動力となり、そうした機関が今日でも高い市場シェアを占めている。しかし、日本には同じような流通市場の機関は存在しない。このことは、こうした原動力が市場にはなく、こうした機関の代わりに、まず自らが最初に制度的に成熟しなければならない民間のSPC(発行体)に頼らざるを得ない、ということを示唆している。いずれ、市場が成熟していけば、こうした準政府機関へのニーズは薄れていくだろう…が、今のところそうした状況にはない。 n 同じように、商業用不動産ローンの場合も、米国では、RTCという政府機関が、証券化を通じて、80年代末の不動産危機後にS&Lや銀行から不良債権や不動産を引き継ぎ、そのポートフォリオを迅速かつ比較的効率的に清算処理できた。日本の場合、米国のRTCにあたる整理回収機構(RCC)は、いろいろな制約を課されているせいもあるが定款上の制約もあって、同じようなペースで問題を処理できないでいる。エド・アルトマン教授は、日本政府が不動産担保付き不良債権の証券化に積極的に関与するよう強く求めている。日本は、この点では米国の経験に学ぶことができるだろう。 n 効率的な市場が発展できるためにはMBS商品の正確なプライシングが必要であり、正確なプライシングができるためには、発行体が裏付けとなる不動産ローンの債務不履行リスク、期限前返済リスク、金利リスクなどを完全に把握できなければならない。上述のとおり、米国の場合、不動産ローンの過去の状況に関する膨大なデータベースがある。日本はこの点でも課題は大きい。 n 正確なプライシングが行なわれるためのもう1つの条件は、比較的少数の標準的なMBSとその裏付けとなっている不動産ローンの組み合わせが存在する厚味のある市場である。こうした標準化は米国では一般的であるが、日本ではそうではない。特に導管体を通じてプール化しようとする商業用不動産ローンに関してはその感が強い。 n 米国では、住宅ローン市場でも商業用不動産ローン市場でもノンリコースローン(NRL)が一般的である。これが、MBS商品を担保や裏付けとなっている物件に係わりのない錯綜した権利関係から切り離すのに役立っている。しかし、NRLは日本では一般的ではない。特に、企業による保証が担保として用いられることが極めて多い住宅ローンの場合はそうである。 n 米国の場合、70年代と80年代前半の金融規制緩和によって、あらゆる不動産ローンの金利が自由化され、一般に資本市場での競争にさらされるようになった。また、個々の不動産ローン商品も金融機関も資本を求めて同じ土俵で競争せざるを得なくなった。どんな部門も優遇されなくなったのである。しかし、日本では資本市場が今なお制約を受けている。特に金利が管理され、人為的に低く抑えられている住宅ローン部門に関してはそうである。これらの資本フローの制約をなくすことが、流通市場の完全な発展には欠かせない。 n 米国では、1つには、公的なものにしろ、民間のものにしろ、不動産ローンに関する保険と保証の存在によって、住宅ローンのLTV(住宅価格に対するローンの比率)が極めて高くなっており(最高で95%以上)、それが住宅ローンやRMBSの市場拡大につながるとともに、持ち家の促進(持ち家比率は今では68%を超えている)にもつながった。しかし、日本ではこうした保険商品や保証商品はまだ一般的ではない。このため、必要とされる頭金が非常に高額で、証券化できるローンの市場が依然として必要以上に小さく、持ち家比率も比較的低水準にとどまっている(約40%)。 n 日本でも多くの法律や規制−SPC法、特定債権法、債権譲渡特例法、サービサー法など−が施行され、証券化と効率的な不動産ローン市場発展への最も極端な障害は取り除かれているが、不動産取得税や登録免許税などの取引コスト(全部合わせると取得価格の4.5%にもなりかねない)引き下げなど、まだまだ課題は山積している。確かに米国もこうした点では完全ではないが、資金の自由な流れにとって障害となる法律や規制の改正ということでは日本より進んでいる。 n SPC法の施行で、最近、MBS商品を発行するのに必要な複雑かつ非効率的な海外の制度的スキームは簡素化されたが、SPCにはいろいろな制約が課されていることや、SPCの在り方を定めていること自体によって、日本では市場の効率的な運営が引き続き不必要に妨げられている。上述のとおり、米国では、銀行、モーゲージ会社、生命保険会社、投資銀行などがはるかに自由に導管体を設立できる。 n 日本では、1つには証券化を促進するためとされていた1998年3月施行の改正法によって、多くのMBSについて格付の低いトランシェやレディジュアル債のトランシェの販売が難しくなり、結果的に、そうしたトランシェを発行体が保有せざるを得なくなったり、発行そのものができなくなっている。米国では、ハイリスクの「ジャンク」商品に投資する多くのオポチュニティーファンドやヘッジファンドなどが設立され、これらの市場に参加できるようになっている。1998年秋の場合のように、この仕組みは完全なものではなく、今でも一時的に流動性が欠けることもあるが、通常はこうした仕組みによってすべての格付レベルで市場がうまく機能するようになっている。 n 米国では、信用状、支払保証書、保証、第三者からの劣後ローンなど、他の外部的な信用補完手段も一般化している。しかし、日本では制度上の問題や企業どうしの関係から、これらの外部信用補完はあまり一般的ではない。 n 日本では、これまで不動産ローンの証券化を積極的に推進してきた人たちの最大の関心事は、80年代末から90年台初めにかけての米国同様、MBS市場の効率化と膨大な不良債権の清算を進める上での障害を取り除くことである。しかし、日本ももう一歩先に歩みを進めて、先行きの市場の更なる発展を促進するインセンティブに目を向けなければならない時期がすぐにやってくる。証券化商品が身近なものとなり、市場が正常な状態に戻れば、現在の大きなスプレッドは縮小していくだろう。この点では、格付が市場全体に浸透し、経験を積んでいけば、格付が重要な役割を果たすようになるだろう。最終的には、公的な(証券化商品)市場と私的な(ホールローン)市場との相対的なメリットがいよいよ重視されるようになるだろうが、どちらのメリットが大きいかはこの2つの市場の相対的な効率性による。報酬と利ざやは長期的な競争水準へと低下していくだろう。 n 日本でも、リスクの分散と証券化商品の組成と販売における利益の調整度合いにも目が向くようになるだろう(し、また目を向けなければならない)。特に、日本でも登場し始めているデリバティブ商品についてはそうである。米国の場合は、上述のとおり、ある種のリスクを無視したり、そのプライシングを誤ったり、借り手、貸し手、発行体、投資家の間で適切なインセンティブの調整が行なわれなかったために、深刻な「事故」が発生した。日本でもいつの日か日本版のLTCM危機が発生するだろう。
結論的にいえば次のとおりである。多くのエコノミストが、市場のより効率的かつ完全な発展に必要なのはシグナルを正しく据えることだけである、と論じているが、日本の不動産ローン証券化市場についても同じことがいえる。しかし、「シグナル」に含まれているのは正しいルールや制度的な仕組みだけではない。市場の発展が目先的に特定の参加者層を豊かにするばかりでなく、長い目で見て日本社会の全体に恩恵をもたらすように、「シグナル」には証券市場参加者のリスクテーク行動に影響を及ぼす一連のインセンティブも含まれていなければならないのである。
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